トム・ソーヤーの冒険 視聴メモ——1840年代アメリカと私との相性

作品情報

世界名作劇場シリーズ第6作、1980年放送。原作はマーク・トウェイン「トム・ソーヤーの冒険」(1876年発表)、監督は西田正義。マーク・トウェイン(本名サミュエル・クレメンス、1835-1910)は「アメリカ文学の父」とも呼ばれる作家。

時代背景

舞台は19世紀半ば(1840年代頃)のアメリカ南部、ミシシッピ川沿いの架空の町セントピーターズバーグ。作者の故郷である実在の町ハンニバル(ミズーリ州)がモデルになっている。

ハンニバルはミシシッピ川のすぐ西岸に位置する町。南へ下ればセントルイス、さらに南下するとメンフィス、ニューオーリンズへと続き、ミシシッピ川はメキシコ湾に注ぐ。

南北戦争(1861-1865)以前の時代で、まだ奴隷制度が存在していた社会。蒸気船がミシシッピ川を行き交う「西部開拓」と「旧南部の農村社会」が同居する時期にあたる。牧場の少女カトリ(フィンランド農村・1900年代初頭)より時代設定は50〜60年古い。

都市に近い町の悪ガキの物語という点で、カトリや赤毛のアンとは軸が異なる。農作業や自給自足より、いたずら・冒険・宝探しが中心。

同時代の名作劇場作品との対比

「若草物語」(原作1868-69年、原題Little Women、ルイーザ・メイ・オルコット)は南北戦争最中の北部(マサチューセッツ)が舞台。トム・ソーヤー(戦争前・南部・奴隷制度が日常)と若草物語(戦争中・北部・父が従軍中)は、南北戦争を挟んだ対の位置関係になる。世界名作劇場では「愛の若草物語」として1987年にアニメ化されている。対比視聴の題材として面白そうなので、いずれ挑戦したい。

気になったシーン

教室の石板(スレート)

教室で石板に文字を書く生徒たち
教室で石板(スレート)に文字を書く生徒たち

生徒たちが黒い石板(粘板岩のスレート)に石筆で文字を書いている。紙とインクが高価だった時代の学校の必需品で、布や海綿で水拭きすれば消せて繰り返し使える。赤毛のアンでもアンがギルバートの頭を石板で叩く有名なシーンがあり、当時の欧米・カナダの学校の象徴的な小道具だった。

カトリとの教育普及の対比

時代はトム・ソーヤー(1840年代)の方がカトリ(1900年代初頭)より50〜60年古いのに、学校教育の普及・描写はアメリカの方が進んで見える。これは「時代の新旧」ではなく「国の政治体制・近代化の進み方」の差によるもの。

  • アメリカ北東部は19世紀前半からコモンスクール運動で公立学校制度が広がっていた地域
  • フィンランドは当時ロシア帝国の支配下にあり、独自の教育制度整備が遅れがちだった(識字率自体はルター派の聖書識字教育で昔から高かったが、近代的学校制度の整備は支配下という政治状況で遅れた面がある)

ただしカトリ本編で学校シーンがほぼ出てこないのを「教育が遅れていた証拠」と断定するのは早計。農村の労働生活を描くことに重点を置いたアニメの選択の可能性もある。

黒板の掛け算(6の段・7の段)

黒板に書かれた6の段・7の段の掛け算
黒板の6の段・7の段の掛け算

黒板に「6×4=」「6×5=」「6×6=」「7×4=」「7×5=」「7×7=」と、左右で段を分けた掛け算の問題が並ぶ。現代日本の感覚だと小学2〜3年生(8〜9歳)相当の内容。

19世紀アメリカの学校は日本のような学年区分が厳密でなく、6歳〜14歳くらいまでが同じ教室で学ぶ「一室校舎(one-room schoolhouse)」が主流だった。黒板の左右で段を分けているのは、教師が年齢・習熟度別に別の問題を同時に出している一室校舎特有の光景の可能性がある。トム自身は作中設定で12歳前後とされ、掛け算の授業を受けている年齢としては当時の教育進度がゆっくりだった可能性、または年下の子と一緒に基礎を復習させられている描写かもしれない。

正直な感想(合わないと感じた点)

朝なかなか起きない、いたずらばかり、角砂糖をポケットに隠す、授業中に先生の似顔絵の落書きをして全く勉強しない、高い学費を払ってもらっているのに態度がひどい——というドラ息子ぶりに、正直かなり強い違和感を覚えた。子供の頃から活発でやんちゃなタイプより、おとなしめの子と気が合うことが多かった自分にとって、カトリのような「厳しい環境で健気に働く主人公に共感する」物語を期待していると、トムのキャラクターは素直に肌に合わない。

背景として知っておくと少し見方が変わる点もある。トウェインは当時流行っていた「お行儀の良い教訓小説」への風刺・パロディとして、あえてこの悪童を主人公にした。塀のペンキ塗りのエピソードは交渉術として、洞窟で命がけでベッキーを守る場面や法廷で勇気を出して証言する場面は「いたずらの裏で肝心なところは筋を通す」人物像として評価されている。

それを踏まえても、今のところ主人公に共感しづらい・見ていて素直に楽しめない感覚が強い。もう少し見て判断を続けたい。

登場人物

ハックルベリー・フィン

町の酔っ払いの息子で、学校にも通わず家もない浮浪児。親の管理がないため大人からは「悪い影響を与える子」扱いだが、トムにとっては大人のルールに縛られない自由な生き方への憧れの対象になっている。帽子をかぶったぼろぼろの身なりが定番のビジュアルで、続編「ハックルベリー・フィンの冒険」(1884年)では主人公に昇格する。

トムが学校に行っている理由(ハックとの対比構造)

トムは孤児だが、母方の伯母ポリーおばさんに引き取られ、まともな家庭で育てられている。ポリーおばさんは厳しくも愛情深い保護者で、学校教育・日曜学校(教会)・行儀作法をきちんと受けさせようとする立場。ハック(管理する大人がいない→学校に行かなくていい自由な存在)とトム(伯母がちゃんと育てている→学校に行く義務がある立場)の対比が、物語の軸になっている。トムがハックに強く憧れるのは「本当は自分も学校をサボってハックのように自由に暮らしたい」という気持ちがあるから。行く義務がある子だからこそそこから逃げたがる、というのがトムの悪童ぶり・脱走願望の動機になっている。

ハックが角砂糖を盗み食いするシーンと当時の健康事情

ハックがトムのポケットから角砂糖を取り出して2個食べる場面がある。19世紀当時、精製された角砂糖はまだ高価な贅沢品で、日常的にがぶ飲みできるものではなく、子供にとっては特別なご馳走感覚だった。「2個食べた」程度は突発的な贅沢で、日常的な過剰摂取ではない。

当時、糖尿病などの生活習慣病は現代よりずっと少なかった。理由は「甘いものを我慢していた」からだけでなく生活様式全体の違いにある。

  • 砂糖・精製小麦粉・加工食品自体が貴重品か存在せず、食事はほぼ未加工の穀物・野菜・乳製品中心(カトリの黒パンと同じ構造)
  • 農作業・水汲み・薪割り・徒歩移動が生活の基本で運動量が桁違いに多い
  • むしろカロリー自体が慢性的に不足気味で「太りすぎ」より「栄養不足」が主流の問題だった

ただし当時が今より健康だったわけではなく、別の健康リスクと隣り合わせだった。19世紀アメリカの平均寿命は40歳前後で、死因の主流は感染症(結核・コレラ・チフス・肺炎)と乳幼児死亡率の高さ。抗生物質・ワクチンがなく、今なら簡単に治る病気で命を落とすのが普通だった時代である。「今より健康だった」のではなく「今と違う種類の危険と隣り合わせだった」というのが正確なところ。

感染症時代を変えた人物たち

トムの時代(19世紀半ば)は結核・コレラ・チフス・肺炎などの感染症が死因の主流だった。この状況を実際に変えた、再現性のある確実な功績を持つ人物としては、種痘(天然痘ワクチンの祖)のエドワード・ジェンナー、狂犬病ワクチンと低温殺菌法のルイ・パスツール、結核菌・コレラ菌を発見し感染症の病原体理論を確立したロベルト・コッホ、ペニシリンを発見し抗生物質の道を開いたアレクサンダー・フレミングが挙げられる。

キャスト

トム役は野沢雅子(ドラゴンボール孫悟空の声優)

1980年放送時点で野沢雅子はすでにベテラン。ドラゴンボール(1986年放送開始)より6年早い作品になる。「元気で無邪気、ルールに縛られない、いたずら好き」というキャラクター性は孫悟空とも共通する系譜と言えそうだ。少年役を演じる女性声優という日本アニメ特有の伝統的キャスティングの代表格で、他に鬼太郎(ゲゲゲの鬼太郎)、星野鉄郎(銀河鉄道999)なども演じている。

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