お茶会を川に持っていくことにした
この記事でわかること
判事の娘が、お茶会を捨ててナマズ釣りに行くことにした。
でもバスケットの中には、サンドイッチとクッキーといちごとりんごが詰まっている。釣り道具は一つも入っていない。
つまり彼女は、お茶会をやめたのではなかった。お茶会を川に持っていくことにしたのである。
誘いを断られたところから始まる
『トム・ソーヤーの冒険』のヒロイン、ベッキー・サッチャーは町にやってきた判事の娘だ。上品な身なりで、行儀もいい。
夏休み、彼女がトムを誘う。「私の家でお茶を飲みましょう」
トムは乗り気ではなかった。
無理もない。彼が好きなのは川で泳ぐこと、木に登ること、宝を探すことだ。座ってお茶を飲むのは、学校で座っているのと同じくらい退屈に思えたのだろう。
この年頃の男女差としては、ごく自然なすれ違いだと思う。ベッキーはすでに「二人で静かに過ごす」ことの意味がわかっている。トムはまだ、そこに価値を見出せていない。
同じ「一緒にいたい」があっても、一緒にいる形の理想が違う。
そして、ベッキーが動いた
会話はこう続く。
「どこへ行くの?」
「ナマズ釣りだよ」
「私も行くわ」
「君、ナマズ釣ったことあるの?」
「ないわ。教えてちょうだい」
「お茶会はどうするの?」
「お茶会は断るわ」
自分が用意した場所を捨てて、相手の側に行った。
これは軽い決断ではない。お茶会は彼女の階級の子が身につけている作法の世界であり、彼女のホームグラウンドだ。それを一言で手放して、泥だらけになるかもしれない場所へ向かう。
しかも「教えてちょうだい」と言えるところがいい。知らないことを知らないと認めて、教わろうとする。判事の娘としてのプライドを一切持ち込んでいない。
トムの側も、ちゃんとしている
見落とされがちだが、「お茶会はどうするの?」と確認したのはトムの方である。
自分の誘いに乗ってくれたことを、ただ喜んで飛びついたわけではない。彼女には彼女の予定があったことを覚えていた。
嘘つきで身勝手だと思っていた少年が、相手の都合を先に確認している。借りたハンカチを「汚したら悪いから」と返そうとしたときと、同じ配慮だった。
当日、彼女は一張羅で現れた
淡い緑のワンピース。麦わらの日除け帽。膝の上にバスケット。

完全にお出かけの装いである。汚れることを想定していない。
背景には蒸気船が着いていて、船着き場では荷役の人たちが樽や梱を運んでいる。労働の風景だ。その中に、ピクニックの格好をした女の子が一人だけ座っている。
場所を変える判断はできた。でも「泥だらけになるかもしれない」という想像には至っていない。
彼女の知っている「外出」は、こういう格好でするものだからだ。
バスケットの中身が、全部を語っている
サンドイッチ、クッキー、いちご、りんご。
これは自分が食べるための弁当ではない。分けるための量であり、もてなすための種類である。サンドイッチだけで済ませず、果物もお菓子も入れてきた。
そして釣りの道具は何も入っていない。竿も、餌も、バケツも、汚れてもいい服も。
本当に何も知らないのだ。「ナマズ釣ったことあるの?」「ないわ」は、文字通りの意味だった。だから何を持っていけばいいのかもわからない。
代わりに、自分が知っている「人と出かけるときに必要なもの」を全部詰めてきた。わからないことを、わかっている方法で埋めた。
判断は変えられても、育ちは変えられない
一手で歩み寄ったように見えて、身についたものはそう簡単には変わらない。
バスケットを持ってくるあたりに、もてなす側の作法が染みついている。誰かと出かけるなら何か持っていく、という発想。
トムなら釣り竿と餌があればいい。何も持たずに川へ行く。
同じ場所へ、違うものを期待して向かっている。それでも一緒に行くと決まった。噛み合っていないまま、隣にいる。
場違いな服装を、誰も笑わなかった
三人で歩いていると、ベッキーの服が話題になった。
そこでハックが「とてもよく似合ってるよ」と言う。
これには意表を突かれた。この子は町の飲んだくれの息子で、家がなく、学校にも通わず、木の上や空き樽で寝ている浮浪児である。礼儀作法を教える大人が、人生に一人もいなかった子だ。
その彼が、一番まっとうなことを言った。釣りに一張羅で来た女の子に「そんな格好で来たのか」でもなく、気を遣った沈黙でもなく、似合っていると伝えた。ベッキーはニコニコしていた。
ただし、そう単純でもない
そもそもハックは、ベッキーがついてくるのに乗り気ではなかった。
態度が変わったのは、バスケットの中身を聞いてからである。そのあとは荷物まで持ってあげていた。
つまり、食べ物が目当てである。
ここで白けるかというと、そうでもない。むしろ、ここが良いと思った。
もし彼が純粋な優しさだけで褒めたのなら、それはできすぎた話になる。境遇に恵まれない少年が実は誰よりも紳士だった、という道徳の教科書だ。そういう物語なら山ほどある。
そうではなかった。サンドイッチとクッキーといちごとりんごが目当てで、なおかつ、似合っていると言ったことも本当だった。
打算と好意は、同じ人間の中に同時に存在する。どちらかが偽物なのではない。
動機が混ざっているから、人間に見える
思えば、この作品はずっとそうだった。
主人公のトムは平気で嘘をつくのに、罰を受ける場面では身代わりに名乗り出る。優等生の弟は大人の前では行儀よくしているのに、一人になると足を机に放り出す。
きれいな動機だけを残して、汚れた部分を削り落とせば、キャラクターは分かりやすくなる。分かりやすくなった分だけ、薄くなる。
削らないから、こちらが考えることになる。ハックは何を思って似合ってると言ったのか。半分は本心で、半分は昼飯のためだったのだろうと、勝手に補完する。
補完した分だけ、そのキャラクターは自分の中で立体になる。
何も説明されない
この一連で、心情の説明はひとつもない。
「本当はトムと一緒にいたかったから」とベッキーに言わせない。ナレーションで「彼女の想いは通じたのだった」とも入らない。
ただ、お茶会を断ったという事実と、釣り道具が入っていないバスケットが置かれている。
見ている側が「ああ、この子はお茶が飲みたかったわけじゃないんだ」と気づく。気づいた瞬間、それは自分で見つけたものになる。だから残る。
噛み合わないから、続きが気になる
思えば、この二人はずっとすれ違ってきた。
トムが黒板にメッセージを書いても、ベッキーは見向きもしなかった。ベッキーがハンカチを差し出すと、今度はトムが遠慮して返そうとした。トムがベッキーの身代わりに罰を引き受けた。そしてお茶会の誘いを、トムが断った。
片方が近づくと、もう片方が別のことを見ている。
完全に噛み合ってしまったら、話としては終わってしまう。噛み合わないから、次が気になる。
そして今回、初めてベッキーの側から大きく踏み込んだ。お茶会を捨てて川へ行く。ただし、お茶会そのものを手放したわけではなく、丸ごと持って行くという形で。
歩み寄りながら、自分を変えていない。 そこがいい。
